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更新日:2016年11月4日
打出と芦屋の浜には明治の阪神電車開通のころから海水浴場があり、昭和23年芦屋浜で市営海水浴場が開設されました。芦屋の海岸は潮の干満の差があまりなく、白砂青松で遠浅と海水浴場に適した条件を備えていました。最盛期はひと夏で34万人の人出があったといわれてます。
しかし、昭和30年代には海の水質悪化がかなり進み、昭和39年に閉鎖され、昭和44(1969)年に芦屋浜シーサイドタウンの埋め立て工事が始まると、自然海浜は芦屋川河口を除いてすべて失われました。
芦屋浜シーサイドタウンは昭和54年に竣工し、その後南芦屋浜の埋め立てが進み、芦屋浜護岸改良工事を経て2つの埋め立て地にはさまれた海面と両岸一帯は、「芦屋キャナルパーク」と名付けられました。平成18年の「のじぎく兵庫国体」ではカヌー競技会場として利用されました。さらに、平成10(1998)年に埋め立て工事が終わった南芦屋浜では、人工海浜・親水公園・マリーナが整備されました。
人工浜である潮芦屋ビーチは、総合公園の南端に設けられ、南の大阪湾に開けた砂浜と潮だまりのある磯があり、多くの市民が海と遊ぶことができるようになりました。遊泳は禁止されているものの、およそ40年の歳月を経て本市は、海辺を取り戻したのです。
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埋め立てを待つ芦屋海岸 (昭和41年) |